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 保存活動9年のまとめ

​2006 会の結成と広報に奔走

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 ■ 諸岡邸赤レンガ保存実行委員会を結成
​ 8月に会を発足、現地に保存の可能性はなくなり、場所を変えて移築することを迷いなく決定しました。諸岡氏から赤レンガ門を当会が譲り受け、赤レンガ門塀50m分をばらして、別な場所に運び、後日、市と相談して移築場所を決めるという方針を採りました。とにかく、速やかに動かなければ、赤レンガの姿は消えます。​会則、組織、募金チラシ制作、マスコミ連絡、調査他、早朝から連日走り回りました。
 ■「また会う日まで赤レンガ」写真撮影会

​ 写真撮影会の開催は時間的にかなり厳しいことながら開催。

赤レンガ門塀は一旦ばらして、別な場所に保管するため、町から姿を消します。今後、実物の姿が見えない状況で保存運動を展開するために、写真撮影会で様々な視点から撮られた写真が赤レンガの記憶を繋げるでしょうし、赤レンガ門を知らない方々に訴えるツールにもなるでしょう。

 さらに市の皆さまに「保存活動を開始しました」という宣言と状況説明のために、イベントとしての写真撮影会は必須でした。

 この時点で取り上げて下さった新聞社もあり、市内外から1000人の参加を得ました。​​          開催期間 9月2日~10日

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 ■赤レンガ門塀を解体して移動、保管

 

 赤レンガ門を当会が譲り受けて、調査、図面作成、門塀約50メートル分を、移築を目的に解体して撤去、市内の貝原塚に移動させて保管作業を行ないました。 ​           期間 9月11日~30日

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 ■赤レンガ写真展開催~また会う日まで赤レンガ

 11月写真展 上町空き店舗で4日間開催。フォトコンテスト応募の100点を展示。感想や赤レンガ門の思い出、保存について意見を書いていただきました。​850人来場。11月23日に入賞者の表彰式を行いました。東京から諸岡良彦さん、また当時の副市長もご出席。

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​2007-​2008 ​移築場所が決まらない・・・あきらめずに3年

 ■にぎわい広場の整備計画案に赤レンガ門の移築を要望

 にぎわい広場の整備計画と赤レンガ保存活動が偶然にも時期が重なり、ワークショップなどで「広場のモニュメントとして明治の赤レンガ門塀を」との意見を出して、ワークショップ参加者の9割の賛成を得ましたが…

 ■募金活動、広報活動、イベント活動、結果を待ちながら
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 希望を抱いて待っていましたが、市から「にぎわい広場移築はなくなった」と通知を受けました。公共的な場所に移築を!と新たな移築場所について市に検討を依頼することになったものの、委員会では「現地保存が無理ならどこでも同じ」「歴史民族資料館」「赤レンガがあった場所の近くに」など意見がまとまらず、「保存とは何か」について委員会全体で学ぶ必要がありました。

​■「上野・赤レンガ・まち歩き」を開催…「保存」について学ぶ
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「上野・赤レンガ・まち歩き」上野 東京文化会館の前に龍ケ崎市から47名が参加 講師は前野まさる東京芸大名誉教授

 2008年7月3日、上野付近に残る赤レンガ遺産と旧東京音楽学校奏楽堂を見学し移築について学ぶ会を開催しました。当時の日本イコモス国内委員長・前野まさる東京芸大名誉教授にお話を依頼しました。

 市内から市の関連課からの参加者も含め、47人が上野で集合。参加者と共に「移築は歴史的関連のある場所、歴史を語れる場所」が大切と学び、そこから「旧市内の市有地」を移築場所に要望しようと当会の意見をまとめることができました。

 ー歴史民俗資料館への移築案ー

 2006年9月に、赤レンガ門塀の現地でコンピューターによる再現画面作製ということで、全国町並保存連盟のご紹介により、赤レンガ筑波大学大学院 藤川昌樹教授研究室、渡辺俊教授研究室のお世話になりました。

 移築場所について、車で市内を巡って下さり歴史民俗資料館の前では「ここまで赤レンガを持ってきては筋違いでしょう」とお二人から異口同音にアドバイスいただきながら当会の共通認識とすることができませんでした。学びの必要から上野でのイベントを企画しました。

 保存活動は一直線には進みませんでしたが当会一人ひとりの学びがありました。委員会は「旧市内の市有地。第一候補地として八坂神社奥中央公園隣地」を挙げて「かわら版」にも経緯を紹介、市との協議を継続、結果を待ちました。

​2009-2011 移築場所が決定・費用は当会が負担・大震災

​■ 活動後3年、市有地を借りられた! 建築費は当会が負担と決定

 保存への取り組みがスタートして3年後​​、2009年、八坂神社奥の中央公園の隣地を借りて移築へと進路を取ることが可能になりました。旧市街地を検討いただきましたが、米町赤レンガ門の近くには市有地はなく赤レンガ門を移築するスペースは他にはありませんでした。下記契約を市と当会で行いました。費用はにぎわい広場に移築する場合は工事費は広場整備とされるのですが、今後は​当会が費用を捻出することになりました。

 契約 ①場所 龍ケ崎市上町 八坂神社奥中央公園の隣地 

    ②貸与面積 2m×20m

    ③面積は暫定的なもの。工事実現の段階で融通可能 

    ④建築費は赤レンガ保存実行委員会が負担し維持管理も行うこと。

​■ 場所の決定から助成金の応募が可能、該当する情報を求めて

 移築場所が決まったということは、資金さえあれば移築が可能となります。募金活動も行いながら助成金情報を探しました。市にも情報提供を依頼しましたが、該当する助成金はありませんでした。

​■ 2011 年3月11日 東日本大震災 龍ケ崎市も被害が出て余震が続く
 

龍ケ崎市にも被害が出て、市もボランティア募集。大きな災害に出会って当会の募金活動は一旦中止

​2012 門だけで応募し塀はその後に

​■ 資金調達のシナリオができました

​ 市に創設された「協働事業提案制度」は限度額が100万円であり工事費の8分の一の額。神戸信俊氏より情報が寄せられた公益財団法人・東日本鉄道文化財団「地方文化事業支援」を調べ始める。その支援に応募するには「市」を通すことが前提。応募する場合に協力を承諾される。応募には二分の一の費用準備が必要で、それは当会が準備。

 「工事を門と塀に分けること」に活路を見出し、「JRの助成金」と「当会の資金」と募金、市の「協働事業応募」などを組み合わせて調達しよういう方針に当会内でまとめることができました。応募を4回、​あきらめずに取り組もうと決意しました。

​2012-​2015  応募の組み合わせ・準備金調達・募金活動

​■市とJR文化財団に5回応募、採択となり、当会の責任の元で門と塀の移築工事(2014~2015)詳細は活動の記録(1頁〉
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​2015・10月 門と塀の移築工事が完了

詳細は1ページ最後 『活動の記録』にアップしております

 2006年から姿を消していた赤レンガ門塀は、​場所を変えて上町八坂神社の奥の広場に よみがえりました。

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